「ボーはおそれている」 映画感想 ネタバレあり

今日は映画を見てきた。タイトルは「ボーはおそれている」だ。アリ・アスター監督、ホアキン・フェニックス主演ということで、二月の見たい映画にチェックを入れていた。

 

「ミッドサマー」では、北欧を舞台にしたホラーだけど、こっちはオデュッセイ・スリラーと広告で紹介されていたのでどうなるのかと期待して映画館へ。

 

精神を患っているらしい主人公のボー。住んでいるところは、路上にホームレスがひしめくアパートの一室。音楽に合わせて踊ってる人はまだいいけど、全身入れ墨の怖そうな人や、あからさまに薬物でキマッてる様子のゾンビみたいな人が画面に映されていて、素直に治安悪!と思ってしまった。カウンセリングの帰りにダッシュでアパートメントの入り口を開けるボーがいたけど、入れ墨の人がボーめがけて追いかけてくるためらしい。これは精神を病んでも仕方ない。早く引っ越した方がいいと思う。

 

父の命日で母親のもとへ会いに行かなきゃいけないボー。早く寝たいけどスラムと化したアパートの通りは夜もうるさくって眠れない。おまけにボーの部屋に「オーディオがうるさい」とクレームを手紙でよこしてくる住人も。もちろんボーの部屋にそんなものはない。おそらく上の階なんだろう。神経質でお薬に頼ってやっとの生活をしているボー。ようやく眠れたと思ったら夕方。飛行機の時間まで余裕がなく、なんとかパッキングと身支度をし終わったと思ったら、ドアから出る寸前にデンタルフロスを忘れていたことに気づいて、荷物と鍵をそのままにして部屋に戻ってしまう。戻ってきたら、自分の鍵も荷物もロスト。電話で会いに行けないことを伝えると母親はボーを突き放すような態度で電話を切ってしまう。

 

この作品は一貫して、ボーとその母であるモナの関係が軸になっている。いい年をしたおじさんでありながら、母親から自立できないボーと、ボーを可愛い可愛いと溺愛して、自分に縛り付ける母親のモナ。話が進むにつれ、モナはビジネスで非常に成功した人物であることが分かる。常に自分の行動を母によって管理されてきたために、自分の判断に自信がないボー。アパートも薬を飲むための水を買いに行くとき、ホームレスに占拠されてしまった。おまけに車で轢かれてしまう。

 

医者の夫婦がボーの世話をしている。ボーに怪我をさせたことを詫びる女性はグレース。夫はロジャー。四人家族だが長男のネイト(ネイサン)は陸軍で任務中に死亡してしまったらしい。娘のトニーもいるがどうも漂う空気が不穏。広い邸宅と緑鮮やかな庭という景色にはジーブスというネイトの戦友で、神経を患っている男も暮らしている。ロジャーたちは何かとボーに手を尽くしてくれるが、ある日トニーがボーの目の前でペンキを飲んで自死を図ってしまう。兄の死から立ち直れない両親に感じていた疎外感が、ボーによって炸裂してしまったのだ。それもそのはず、怪我をしたボーが運ばれた部屋こそトニーの部屋。死んだ兄優先で家族にないがしろにされてきたトニーの怒り。ボーはこの一件で医者夫婦の家を飛び出すことに。母であるグレースが、トニーが死にかけているのをボーのせいにしたからだ。ジーブスにボーを殺すよう命じるグレース。ペンキまみれで森に逃げ込むボー。

 

森では緑の服を着た女性に助けられるボー。自分たちを「森の孤児」といい、各地を流転しているらしいことがうかがえる。森には舞台があり、そこで演劇をするのだが、ボーにもぜひ出てほしいと言われ、衣装を選ぶことに。ペンキまみれのパジャマからシャツに着替えて演劇を鑑賞するボー。両親を失った一人の男が葛藤しつつも、自立していくというテーマで上演され、ボーは劇に自分の人生を重ねていく。旅に出、いくつもの村を歩き、あるとき自分の住処を見つける。この演劇では男が父となって、最後息子たちと再会する。ボーはこの時自分の人生で希薄な存在だった父親を痛烈に意識するのだ。終わりかけに父親と思しき男性がボーに話しかける。幼いボーを知っているという細身の男性。彼はボーを追ってきたジーブスによって死んでしまう。命からがらジーブスの襲撃を生き延び、ボーはヒッチハイクで母のもとにたどり着く。

 

葬式は終わった後。実家を歩くボー。母の功績が展示物として掲載され、葬式の様子もビデオで見ることができる。強烈な箱庭感に「トゥルーマン・ショー」を思い出してしまう。母親の過保護によって、常に監視されてきたボー。母の愛とは聞こえはいいが、子どもの健全な自立を促さない・促せない人間であるモナにボーは幼い頃から精神をすり減らしていたんだろう。親子といっても人間同士考え方が違うもの。自分の息子が自分と違う考えで動き、外の世界に出て、自分ではない誰かと一緒に暮らすことを受け入れられず、それどころか息子に自分の機嫌をくみ取るような要求をしてくるモナは見ていて苦手だと私は思った。ボーは神経質で外の世界を過剰なまでに恐れるけれど、その恐れはボーが一人の人間として自立していくことを怖がっていたモナの恐れにも感じる。母であるモナは自分の言うこと、考えることが正しいとばかりで、ボーの意思を大切にしていないように感じた。

 

ラストは空想的なものだったが、ボーが船に乗って湖を進んでいくと、突然コロシアムのような場所に入る。古代ローマでも模擬海戦をやるために、コロッセオに水を入れるということをやっていたそうだけど、それを思い出させるシーン。そして始まるのは、ボーがいかに母親に対して不誠実で冷たい人間だったかというもの。見ていて気持ちが悪い。判断基準は母がどう思ったかで、ボーがその時何があって、どう思っていたのかはスルー。最後はボーが乗っていた船がひっくり返るシーンで終わる。

 

全体として水がモチーフとなっている映画。ボーは綴りがBEAUとなるけれど、これを見るとbeautifulという英語の形容詞を思い出す。もしかしたら違う国の言葉かなと検索したらフランス語がヒットした。美しいという意味。アッティスと関係はあるんだろうか。ちょっと分からない。

 

「ヘレディタリー/継承」や「ミッド・サマー」であった屋根裏部屋や頭部(顔)のない遺体などが出てきて、監督の作品を見ておくと、「おっ、前にも見たことある」と思えるかもしれない。とりあえず、帰ってきたら集中していたせいか、頭が痛くなったので、見る時はほどほどにリラックスした状態で鑑賞した方が後が楽だと思う。

 

ホアキン・フェニックスの演技が素晴らしかった。ボーの不自然に硬直した手足など、常に緊張して神経が張り詰めている様子。泣くときの顔、表情の変化。ホアキン・フェニックスに興味がある人は見ても損はないと思う。

 

どんな映画だったのかと一言でまとめるのは難しいと思った。もう一度見たいかと言うと、もう少し間をおいてから見たいという具合。そこまでホラーな空気はなかったので、怖さを期待すると少し方向性が違うかもしれない。