「哀れなるものたち」 映画感想 ネタバレあり

今日は映画を見てきた。午前10時から放映ということで急いで出かけた。映画館は思ったより人でいっぱい。とりあえずポップコーンとお茶を買ってスクリーンへ。

 

エマ・ストーン主演の映画。ヨルゴス・ランティモスが監督を務めている。これが楽しみで今日という日を待っていた。

 

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主人公のベラは体は大人の女性だが、中身はまるで赤ちゃんのように無邪気と言うか赤ちゃんそのもの。彼女の”父”であるゴッド(ゴッドウィン)が、橋から飛び降りた女性を奇跡的に蘇生させた存在、それがベラである。作中で何かと美しいと形容されるベラだが、彼女の行動は奔放そのもの。社会の常識とは無縁に自分の興味あるがまま動き出す。ひたすらお皿をたたき割ったり、三輪車で遊ぶ姿は本当に子ども。家の外を知らないベラ。父が助手としてマックスという教え子をつけて、彼にベラの記録をつけるよう申しつける。

 

ある日、父であるゴッドが自分の教え子の一人であるマックスとベラを婚約させようと弁護士を呼んだ。しかし、その弁護士ダンカンはとんだ遊び人で、がっちがちの誓約書を書かせるほどの女性はどんなものかと、ベラに興味をもち、彼女を”冒険”に誘ってしまう。マックスと婚約しているにもかかわらず、ベラはダンカンと遊ぶため家を出るととんでもない発言をし、ゴッドとマックスの前から姿を消した。こうしてベラはダンカンと一緒にロンドンからリスボンへと飛び出し、さらに船に乗ってとてつもない旅に出る。

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あらすじを書いてみたけど、ちゃんとHPで確認したほうが分かりやすいと思う。

 

この作品は正直見ていて辛かった。ゴッドが外科医であるため、解剖するシーンが個人的にはきつい。またベラの成長を描くために性的なシーンもたくさん入っている。一人で見たけどだいぶ気まずかった。ただ、作品上これらの演出は必要不意可決なものだからしょうがないと思う。R18指定ついてる理由に納得。

 

ヴィクトリア朝ロンドンを思わせるスチームパンクな世界。ちょっとSFっぽい気もする。リスボンアレクサンドリアもパリも全て幻想的に演出されている。音楽で不安を煽られるのも監督ならではと映画素人は思ってしまった。フランケンシュタインを思わせるようなゴッドとベラ。それに付き添うマックスが優しすぎる。時々、お金がどうとか社会主義がどうとかいうワードがでてきて、なんか思想強いなと思ったけど、原作が小説であるらしく、アラスター・グレイという人が著者とのこと。今度読んでみようかな。あらすじを確認してみると”19世紀後半のとある医師による自伝”という一文があるので、ヴィクトリア朝っぽい空気に納得。

 

最初ベラがゴッドのもとにいたときは白黒モノトーンの映像だったのに、ダンカンと一緒に外の世界に出てからは一気にカラーになる。ベラの心情の変化や成長が、性に対する興味で描かれている(と勝手に解釈)。個人的に印象的だったのは、ダンカンとあれほどまでに放埓に性というものを味わっていたのに、船にのって、マーサとハリーにあってからは知的なものを中心にベラは世界を知ろうとする。とくにハリーからスラム街の様子を教えてもらって、泣きじゃくるシーンは印象的だった。はじめて悲しみを覚えるベラと、スラムに行かないよう取り押さえるハリー。スラムに続く階段は途中で崩れ落ちていて、上からも下からもつながらないようになっている。

 

ダンカンがカジノで稼いだ大金を貧しい人にと渡そうとするベラ。もうすぐ船が出るということで、出入り口付近の水夫に預けてしまうところが見ていて辛かった。最初のころと違って、ベラは良心ややさしさを分かり始めたように感じるけど、そのやさしさがちゃんと届いてほしい相手に届くかは別なんだよなと思ってしまった。お金がないことに気づくダンカン。ベラは彼にお金は貧しい人に与えたという。ダンカンの口座がつき、ベラともどもマルセイユで船を降りることに。

 

パリで無一文になったダンカンとベラ。ベラはダンカンにゴッドが緊急用にと彼女のスカートの裾に縫いつけて隠したお金を差し出して、ダンカンは姿を消す。無一文であるためにベラは売春をはじめるのだが、売春宿を経営するマダムがちょっと怖い。お金と密接に絡んだ性と女。色々あって彼女はロンドンに戻る。ロンドンでは病に倒れるゴッドとマックスがベラを迎える。

 

どうでもいいけど、メイドさんがベラに対して辛辣でくすっと来てしまう。お皿割ったりと粗相の多いベラがあんま好きじゃなかったんだろうなというのが分かる。ちなみにベラがいなくなった後、ゴッドはフェリシティという女性をベラと同じく蘇生させている。ベラがいなくなったこともあってフェリシティにはどこか冷たく接するゴッド。大してメイドさんはフェリシティのことが可愛いらしい。

 

自分の代わりがいることに嫌悪を覚えるベラ。ゴッドとマックスをモンスターどもとののしる。マックスと話し合いの末、結婚することになったベラ。しかし、ダンカンがベラのもとになった女性ヴィクトリアの夫を連れてきて、話はさらにこじれる。自分のもとになった女性について知るため、ヴィクトリアの夫アルフレッド(アルフィー)のもとへ行くことを決意したベラ。貴族として将軍として裕福な生活を送るアルフレッドだが、銃を構えた状態で使用人に指示を出したり、スープをメイドに持ってこさせたと思ったら、犬をけしかけて熱々のスープをひっかけさせる等やりたい放題。おまけに今度こそヴィクトリア(ベラ)が逃げ出さないように女性版の去勢を医師と相談するシーンがあってぞくっとした。人をモノ扱いしすぎなんだよなと思ってしまった。

 

病床のゴッドに寄り添うベラとマックス。自分を見て、ほとんどの人は恐れるか哀れむかだったが、お前だけは違ったとベラの額にキスをしてゴッドは息を引き取った。自分も父親に医療のために犠牲にされてきたゴッド。この映画で安心して見れるのはゴッドとベラの不思議な親子愛だと思う。ぶっとんだ二人と一緒にいても、ベラに変わらぬやさしさを持ち続けるマックス君は一体何者なんだ。

 

最後はアルフレッドの足を銃で撃ったベラが彼をマックスに治療させた後、自分と同じように改造して、医師になるための試験を控えているシーンで終わる。ボール遊びが上手にできるようになったフェリシティと彼女と遊ぶメイドさん。マックスはベラに予習は何回もやったから大丈夫と励ましている。なおアルフレッドは脳みそがヤギに置き換えられてしまったのか、庭の草木をもぐもぐしていた。

 

長々しく書いたが正直言うと、この映画なんなのかよくわかんない。本当に分からなかった。映像こってて見ごたえあるし、舞台のセットすごいし、芸術性の高い世界観にはめちゃくちゃ惚れるけど、本当に何がおきているのかわかんなかった。

 

原作あるので読んだらまた印象が違ってくると思うけど、この映画の主演をやってのけたエマ・ストーンはすごいと思う。あとダンカン役の人の演技面白かった。

 

全体的に人がモノ扱いされるところが見ていて辛かった。自分がコントロールしやすいように身体的に改造しようとするところ、与える知識を制限して無知なままでいさせようとするところ。タイトルの哀れなるものたちというのも、英語だとPOOR THINGSと表記されているから、モノであることには作品中では意味はあるのだろうか。ちっとも分からん。

 

とりあえず見ることができて良かったとは思うけど、原作読んでからもう一回見るかどうか考えたい感じだった。