しょっぱいおやつ

今日は昨日の頭痛が引いて、少し元気が回復した。天気が悪くともれなく頭痛が起きる体。もう少し頑丈さが欲しい。肩がばきばきで凝っているのでそれも原因だ。

 

おやつは最近甘いものばかりだったので何かしょっぱいおやつがないかと考えてしまう。どっちも太るからよくないと思うけれど、仕事の後やちょっとした休憩中にぱくっとつまみたいと思ってしまう。

 

ちょうど家に外国産のスナック菓子があったのでそれを食べることにした。イタリア産でローズマリーが入ったお菓子。ハーブにはなじみがないけど、塩気があるお菓子でもしっかり合う。香ばしい生地に爽やかなローズマリーの風味がぴったり。

 

意外といけると思ってぱくぱくするとカロリーが大変なことになってしまうので、明日食べようと残す。久々においしいもの食べた気がする。

食事

今日は会社が休みだったため、職場の人と食事に行った。基本的に職場の誰かと一緒にご飯なんて行きたくないと思う人間だが、今回は流れでいい感じに時間がとれそうだったので、ものは試しで行ってみることに。一対一でゆっくりできるのでなかなか良かったと言いたいところだが、相手と話すことに集中しすぎてどうも食事に意識が向かない。ほどほどに意識を分散するということが苦手みたいだ。

 

食事はおいしいが、感想を言いながら食べるのはどうも嫌い。味わって食べる時は黙っていたい。だから一人なんだよ~と自分の孤独っぷりに納得がいってしまう。雑談がてら、仕事の行く末とかどうでもいいこととかしんどいこととかを話す。一人で抱え込むよりは全然良いのだが、やっぱりご飯に集中したい。食欲が強いね。

 

楽しかったことを伝え、次は違うところで食べようと約束。今度はカフェにしてみようかな。とりあえず、日用品を買い求めに違うお店に一人で入る。食事でお開きになるだけありがたい。

 

余計なものをポコポコカゴに入れて会計。一度家に戻ってまた違うお店へ。車だから移動自体は苦にならないが、ちょっと落ち着きがない。服を一着購入したが、買った後で果たしてこれで良かったのかと悩む。

 

ようやく一息つこうと思っても、本当はああしたかった、こうしたかったと急に色々浮かんでくる。私がゆっくりできるのは一人でいるときなんだなぁと実感する一日だった。人と話すと面白いと思うこともあるが、自分の時間は自分だけで使いたい人間ということが分かった。これで良く生きてこれたな。

 

明日になったらまた違うことを考えているんだろうと思う。

 

メロン

メロン。果物だ。私の父が好きでよく食べたいとこぼしている。私はそんなに好きではない。明日年休を使ったので休みだと話したら、「メロン買ってきて」と頼まれた。私は嫌いなので断ったら、「つめたい」と落ち込んでいる。

 

兄ならどうかと話をふったら彼もメロンは嫌いらしかった。これを父につたえたら、「人間じゃない」とおふざけ半分で言われた。メロン、そんなに好きじゃないの。というわけで、父とのフルーツ合戦をなんとかやり過ごしてきたのだが、この時期のフルーツってなんだろうと悩んでしまった。母曰く、みかんはもうないとのこと。ということは春のフルーツが並んでくるということだが、春のフルーツってなんだと今度は頭を抱えてしまったのだ。

 

調べてみると、いちごにオレンジ・はっさく・夏みかんにグレープフルーツなど、柑橘系が目立つ。キウイにメロン、びわ。メロンとびわもあるんかいと一人でつっこみを入れてしまった。父はメロンのほかにびわも好きだった。でもどこで売っているか分からないので、びわは手に入れるのは難しいだろう。

 

これはもうメロンを買ってあげるしかないのか。カットフルーツで400円ぐらいか?全く分からないけど今度探してみよう。ついでに苺も買ってみよう。

 

家計簿

今日は財布にたまったレシートを整理していた。日ごろからちょこちょこ買い物をしてはため込んでしまうので、今日のうちに片付けようと珍しくやる気を出した。

 

コンビニ、スーパー、ドラッグストア。いつも利用するお店。休みの日、意味もなく出かけては手ぶらで戻るのもいやだからと適当によって似たり寄ったりなものを購入して帰ってくる。自分の生活スタイルが手に取る様に分かるレシート群に目を瞑りたくてしょうがない。一月、二月はストレスから散財し、本まで色々買っていたので二か月続けて赤字だった。ストレスがたまると買い食いと本に走るのが私の性質らしい。

 

家計簿アプリをつかってレシートの内容を入力。現時点で給与と比較するとあまり使えるお金はない。当然と言えば当然。月の前半でだいぶ使っている。

 

これで大人しくしていればまだ消費も控えめになって出費も減るけれど、どうしても外に出て気分転換したいときがある。もう少し何もなくてもゆっくりできるところを探した方がよさそうだ。

職場のコウモリ

今日は(正確に言うと昨日)面白いことがあった。職場にコウモリが入ってきたのだ。動物のコウモリ。こんなのがでてくるなんて自分の住んでいるところは田舎だなぁと思わせる事態だった。

 

帰り近くで、仕事もそろそろ終わりそうだなとぼんやりしていると、急にパタパタと飛んでくる生き物。その後捕獲されて、外に逃がされたと思うけど、とんでいる様子に少し癒された。

 

衛生面から考えると野生の動物が近くにいるっていうのはあまり好ましくないんだろうけど、こうして自然が身近にあると感じると和んでしまう人間なので、今日の出来事は結構笑える。

 

とりあえず入ってきたコウモリには、次は間違って入ってこないようにねと祈らんばかりである。

 

三月に入った

金曜日、仕事が終わってからテンションが高い。コンビニで目についたものを考えずに買っていく。三月に入った。春が近いから温かくなるだろうと思ったけど、明日明後日は天気が悪い。

 

休みに入るたびに天候に恵まれず少し悲しくなる。寒いと外に出る気がなくなってしまうので、もう少し気温が高くなってほしいと願ってしまう。

 

寒くてつい色んなものを食べてしまうから、そろそろダイエットを考えようとプリン・あ・ラ・モードを手に取った。値段を見ずに買ったら、なんと600円を超えていた。高い。

 

三月はどんなひと月になるだろうか。仕事をしているからすぐ時間が過ぎてしまうけど、一日一日を大切に過ごしたいものだ。

 

「ボーはおそれている」 映画感想 ネタバレあり

今日は映画を見てきた。タイトルは「ボーはおそれている」だ。アリ・アスター監督、ホアキン・フェニックス主演ということで、二月の見たい映画にチェックを入れていた。

 

「ミッドサマー」では、北欧を舞台にしたホラーだけど、こっちはオデュッセイ・スリラーと広告で紹介されていたのでどうなるのかと期待して映画館へ。

 

精神を患っているらしい主人公のボー。住んでいるところは、路上にホームレスがひしめくアパートの一室。音楽に合わせて踊ってる人はまだいいけど、全身入れ墨の怖そうな人や、あからさまに薬物でキマッてる様子のゾンビみたいな人が画面に映されていて、素直に治安悪!と思ってしまった。カウンセリングの帰りにダッシュでアパートメントの入り口を開けるボーがいたけど、入れ墨の人がボーめがけて追いかけてくるためらしい。これは精神を病んでも仕方ない。早く引っ越した方がいいと思う。

 

父の命日で母親のもとへ会いに行かなきゃいけないボー。早く寝たいけどスラムと化したアパートの通りは夜もうるさくって眠れない。おまけにボーの部屋に「オーディオがうるさい」とクレームを手紙でよこしてくる住人も。もちろんボーの部屋にそんなものはない。おそらく上の階なんだろう。神経質でお薬に頼ってやっとの生活をしているボー。ようやく眠れたと思ったら夕方。飛行機の時間まで余裕がなく、なんとかパッキングと身支度をし終わったと思ったら、ドアから出る寸前にデンタルフロスを忘れていたことに気づいて、荷物と鍵をそのままにして部屋に戻ってしまう。戻ってきたら、自分の鍵も荷物もロスト。電話で会いに行けないことを伝えると母親はボーを突き放すような態度で電話を切ってしまう。

 

この作品は一貫して、ボーとその母であるモナの関係が軸になっている。いい年をしたおじさんでありながら、母親から自立できないボーと、ボーを可愛い可愛いと溺愛して、自分に縛り付ける母親のモナ。話が進むにつれ、モナはビジネスで非常に成功した人物であることが分かる。常に自分の行動を母によって管理されてきたために、自分の判断に自信がないボー。アパートも薬を飲むための水を買いに行くとき、ホームレスに占拠されてしまった。おまけに車で轢かれてしまう。

 

医者の夫婦がボーの世話をしている。ボーに怪我をさせたことを詫びる女性はグレース。夫はロジャー。四人家族だが長男のネイト(ネイサン)は陸軍で任務中に死亡してしまったらしい。娘のトニーもいるがどうも漂う空気が不穏。広い邸宅と緑鮮やかな庭という景色にはジーブスというネイトの戦友で、神経を患っている男も暮らしている。ロジャーたちは何かとボーに手を尽くしてくれるが、ある日トニーがボーの目の前でペンキを飲んで自死を図ってしまう。兄の死から立ち直れない両親に感じていた疎外感が、ボーによって炸裂してしまったのだ。それもそのはず、怪我をしたボーが運ばれた部屋こそトニーの部屋。死んだ兄優先で家族にないがしろにされてきたトニーの怒り。ボーはこの一件で医者夫婦の家を飛び出すことに。母であるグレースが、トニーが死にかけているのをボーのせいにしたからだ。ジーブスにボーを殺すよう命じるグレース。ペンキまみれで森に逃げ込むボー。

 

森では緑の服を着た女性に助けられるボー。自分たちを「森の孤児」といい、各地を流転しているらしいことがうかがえる。森には舞台があり、そこで演劇をするのだが、ボーにもぜひ出てほしいと言われ、衣装を選ぶことに。ペンキまみれのパジャマからシャツに着替えて演劇を鑑賞するボー。両親を失った一人の男が葛藤しつつも、自立していくというテーマで上演され、ボーは劇に自分の人生を重ねていく。旅に出、いくつもの村を歩き、あるとき自分の住処を見つける。この演劇では男が父となって、最後息子たちと再会する。ボーはこの時自分の人生で希薄な存在だった父親を痛烈に意識するのだ。終わりかけに父親と思しき男性がボーに話しかける。幼いボーを知っているという細身の男性。彼はボーを追ってきたジーブスによって死んでしまう。命からがらジーブスの襲撃を生き延び、ボーはヒッチハイクで母のもとにたどり着く。

 

葬式は終わった後。実家を歩くボー。母の功績が展示物として掲載され、葬式の様子もビデオで見ることができる。強烈な箱庭感に「トゥルーマン・ショー」を思い出してしまう。母親の過保護によって、常に監視されてきたボー。母の愛とは聞こえはいいが、子どもの健全な自立を促さない・促せない人間であるモナにボーは幼い頃から精神をすり減らしていたんだろう。親子といっても人間同士考え方が違うもの。自分の息子が自分と違う考えで動き、外の世界に出て、自分ではない誰かと一緒に暮らすことを受け入れられず、それどころか息子に自分の機嫌をくみ取るような要求をしてくるモナは見ていて苦手だと私は思った。ボーは神経質で外の世界を過剰なまでに恐れるけれど、その恐れはボーが一人の人間として自立していくことを怖がっていたモナの恐れにも感じる。母であるモナは自分の言うこと、考えることが正しいとばかりで、ボーの意思を大切にしていないように感じた。

 

ラストは空想的なものだったが、ボーが船に乗って湖を進んでいくと、突然コロシアムのような場所に入る。古代ローマでも模擬海戦をやるために、コロッセオに水を入れるということをやっていたそうだけど、それを思い出させるシーン。そして始まるのは、ボーがいかに母親に対して不誠実で冷たい人間だったかというもの。見ていて気持ちが悪い。判断基準は母がどう思ったかで、ボーがその時何があって、どう思っていたのかはスルー。最後はボーが乗っていた船がひっくり返るシーンで終わる。

 

全体として水がモチーフとなっている映画。ボーは綴りがBEAUとなるけれど、これを見るとbeautifulという英語の形容詞を思い出す。もしかしたら違う国の言葉かなと検索したらフランス語がヒットした。美しいという意味。アッティスと関係はあるんだろうか。ちょっと分からない。

 

「ヘレディタリー/継承」や「ミッド・サマー」であった屋根裏部屋や頭部(顔)のない遺体などが出てきて、監督の作品を見ておくと、「おっ、前にも見たことある」と思えるかもしれない。とりあえず、帰ってきたら集中していたせいか、頭が痛くなったので、見る時はほどほどにリラックスした状態で鑑賞した方が後が楽だと思う。

 

ホアキン・フェニックスの演技が素晴らしかった。ボーの不自然に硬直した手足など、常に緊張して神経が張り詰めている様子。泣くときの顔、表情の変化。ホアキン・フェニックスに興味がある人は見ても損はないと思う。

 

どんな映画だったのかと一言でまとめるのは難しいと思った。もう一度見たいかと言うと、もう少し間をおいてから見たいという具合。そこまでホラーな空気はなかったので、怖さを期待すると少し方向性が違うかもしれない。